江戸の大和撫子も夢中だった!?初ガツオにまつわるお金の話

「初ガツオは女房子供を質に入れてでも食え」なんて聞いたことありませんか?
まず、意味が分かりませんよね。
だって、カツオなんてありふれたお魚ですもの。
どんなに好きでも、奥さんや子供を質に、、、ってどいうことなんでしょ。
この言葉が生まれたのは、江戸時代。今とは食の事情が全く違います。
とはいえ、今でも「旬」や「はしり」を食べることはカッコ良く、通な人が好みますね。
お鮨屋さんなんかに行くと、ちょっと言ってみたくなる。
どうやら、江戸時代の初ガツオ人気はすさまじく、その理由には江戸っ子ならではの気質や信仰心が絡んでいるようです。
面白そうなので、ちょっとご紹介してみようと思います。
俳句の初ガツオ
初ガツオの時期は、4月末~6月。ちょうど青葉がきれいな季節です。
初鰹を読んだ俳句をご紹介します。
「目に青葉 山ほとどぎす 初鰹」(山口素堂)
江戸の人々が最も好んだものを詠んでいます。
こんな句も。
「まな板に 小判一枚 初鰹」(室井其角)
「鎌倉を 生きて出でけむ 初鰹」(松尾芭蕉)
「大江戸や 犬もありつく 初鰹」(小林一茶)
とまあ、、、江戸っ子にとっての初ガツオに対する情熱は、今では考えられないほどのものでした。
江戸っ子が初鰹に夢中だった理由【とにかく貴重!】
江戸時代、初ガツオは鎌倉沖や伊豆沖で水揚げされていました。
江戸の街まで十三里の道のりです。
約50km。
水揚げされたカツオの鮮度をなるべく落とさないように「鰹売り」という専門の魚屋さんがいたそうです。
魚を早く売るため、走って売り廻っていました。
とにかく貴重な初ガツオ。当時、びっくりするくらい非常に高価なものでした。
初ガツオ一尾が三両という値がついたこともあったとか。
おおよその換算で現在の約30万円ほど。
鰹一尾で、です。
江戸時代の貨幣価値を現代の価値に換算すると大工さんの日当が6600円くらい。
月々の長屋の家賃が9900円くらいだったそうです。
初鰹がいかに高価だったか分かりますね。
庶民にはなかなか手が出ないように思うのですが・・・
江戸っ子が初鰹に夢中だった理由➁【「初もの食い」の信仰】
古くから日本人は、初ものを食べれば福を呼び込み、長寿になると信じてきました。
これは日本独特の文化です。
旬を大事にしてきた日本人。
特に、シーズンに初めてとれる食べるものを初ものといって珍重してきました。
「初もの七十五日」ともいわれ、初ものを食べると寿命が75日延びるという言い伝えがあります。
初ものにはエネルギーがみなぎっていて、食べれば新たな生命力を得られると考えられてきました。
冷蔵庫のない昔の話ですから、とれたてを食せるというのは本当に贅沢なことでした。
縁起物として大事に大事にしてきたんですね。
実際に、旬の食べものの栄養価は高く、新鮮です。何より美味しい!
特に江戸時代、この初ものは大きな意味をもっていました。
江戸っ子が初鰹に夢中だった理由その➂【江戸っ子の性格】
江戸っ子といえば、よく、「粋でいなせ」「金払いが良く、細かいことにはこだわらず、喧嘩っ早いが義理人情に厚い」という特徴で表されます。
信心深いということもあったようで、初もの食いには強いこだわりがあったようです。
「初もの七十五日」を信じていた江戸っこは初ガツオを食べることで長寿にあやかろうとしたんですね。
江戸っ子にとっての初ガツオの期限は、4月8日だったようです。
それを過ぎると「あいつは野暮だ!」などど馬鹿にされたとか。
見栄っ張りで意地っ張りが特徴の江戸っ子。
いくらお金がかかっても誰よりも早く手に入れて、どうしても自慢したかった。
初ものを「女房子供を質に入れて」までして手に入れることこそ「粋」の証だったわけです。
ちなみ、カツオは「勝男」と読みが同じという理由で武士が多かった江戸で好まれたというのもブームの一因だったそう。
この初鰹ブームは1781年~1800年ころが最盛期で、およそ40年間くらい続いたとか。
江戸っ子気質が初もの食いと結びついて、度を越した狂乱の初鰹ブームを引き起こした、というわけです。
現代でもタピオカが流行ったり、古くはティラミスとかナタデココとか(古い!?)ブームになってきましたよね。
基本的に日本人はミーハーで新しいもの好き。
その原点が江戸にあったとは!驚きです。
現代では、安定的に食材が手に入るので初ものに命をかけるようなことはないですが、旬を大事にすることは日本の伝統文化でもあります。
旬のものはとにかく美味しい。
そして、旬を分かっているとやっぱり粋で格好良いと思います!