梅の花をよんだ和歌といえば、有名なこの一首。作者は菅原道真。
「東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」(こちふかば においおこせよ うめのはな あるじなしとて はるなわすれそ)
意訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。
天神様としておなじみの菅原道真は、梅と深いご縁があります。そんな道真と梅を結ぶストーリーと、太宰府天満宮にある飛梅伝説をご紹介します。
和歌の背景
時は平安時代。
藤原時平との政争に敗れて、遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)。
京都にある屋敷の梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しみ、特に大好きだった梅の木に語りかけるように読んだのがこの歌です。
自分が手塩にかけた梅の木を京都へ置いていかねばならない寂しさ、それだけでなく生きて戻れるか分からない自分の運命への悲哀も感じられます。
菅原道真の生涯は波乱万丈でした。
幼少の頃より神童とうたわれ、文武両道に秀でた才能の持ち主でした。
幼い頃に作った漢詩があります。それが、こちら。
月夜見梅花(げつやにばいかをみる)
月輝晴如雪(月の輝きは晴れたる雪の如し)
梅花似照星(梅花は照れる星に似たり)
可憐金鏡転(憐れむべし 金鏡のめぐりて)
庭上玉房馨(庭上に玉房の馨れることを)
意訳:今夜の月の光は、雪にお日さまがあたった時のように明るく、その中で梅の花は、きらきらと輝く星のようだ。なんて素晴らしいのだろう。空には月が輝き、この庭では梅の花のよい香りが満ちているのは。
この詩は11歳のころにお作りになったそうですよ。
なんと情緒豊か!
道真の才能は政治にも発揮されることになりますが、時代の流れで翻弄されることとなります。
政治の中心であった京都から地方の大宰府へ流されることになり、不遇のままその生涯を閉じたといわれています。
道真の魂を癒していたのが梅の花。
道真と梅の結びつきが分かる伝説があります。
それが「飛梅伝説」。
太宰府天満宮には実際に梅の木もあります。
道真の飛梅伝説とは?
左遷されてしまった道真。
あとに残された桜、梅、松。
道真を慕う庭木のうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。
しかして梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んだ!
ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの丘に降り立ち、根を下ろした。
この場所は現在、「飛松岡」と呼ばれています。
一方、ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに京都から主人の暮らす太宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったという。
そしてその梅こそが、現在も太宰府天満宮にある樹齢1000年を超すといわれている梅の木です。
その名こそ「飛梅」。
「飛梅」はご神木として今に至るまで大事にされています。
この木は、太宰府天満宮の境内のどの梅よりも先に花を咲かすのだそうです。
現在でも梅花祭が開催されています。
特に2月25日が道真公の命日にあたり、「飛梅講社大祭」として神事が執り行われます。
毎年、多くの方がお参りにきて無病息災をお祈りされます。
境内には約6000本の梅の木があり、ご神木「飛梅」は先がけて咲きます。
様々な種類の梅があるので、1月~3月上旬ごろまで楽しめるそうです。
太宰府天満宮
※感染症対策として入場制限や神事の中止の場合があります。行く前に最新情報を調べてください。
【創建】 延喜19年(919年)
【主祭神】 菅原道真公(天神様)
【所在地】 福岡県太宰府市宰府4-7-1
【アクセス】 西鉄電車「太宰府駅」から徒歩5分ほど
【梅の見頃】 1月下旬~3月上旬。特にご神木「飛梅」は境内で一番早く咲きます。

